境界線とアイデンティティ

私は、やっと母に対して、境界線が弾けるようになった
だんだんと共依存から抜け出せてきた。

私が人間関係を毎回、こじらせるのは母娘関係がきっかけだとわかった。

15年間、実家を出て逃げ続けてきたけど、もうこれ以上、母親から逃げてはいけないと思った。
実家を出て一人で生活をして、私は自立をしたのだと思い込んでいた。

私がしていたのは、ただの逃げだった。

母がいる環境で、境界線を引いて私の尊厳を保てるようにならないと、どこへ行っても同じだと思った。

母は子供の頃からずっと私に愚痴や悩みを聞かせ続けていた。

母の悩みを聞き続けることが当然だと思っていたし、私が母が嫌がる事をせず、常に母に気を使い続ける事は、当然の責務のように思っていた。

それでも私が母に「嫌だからやめて欲しい」と言ったことを聞いてもらえた事はない。

母はそれでも自分は子供をすごく愛していて、正しい親だと思っている。
口ではもっと柔らかい表現をしたり、自虐的なことも言うけれど、心の底では、結局、自分の欲望が勝つ人だ。

というか、人間の本質なんてそんなものなんだろうけれど、
私はそれがな得できなかった。
きっと自分もそうだと思うのに。

母のこの態度は、今でも変わったわけではない。

私は母の弱さの背景にあるものを感じ取っていた。

母はずっと家族に虐げられてきた人だし、いじめにもあってきた人なので
まさか自分が娘を苦しめているだなんて思っていなかった。母はいつも自分は善人であると信じていたから。

だから、母は「いじめっ子」が嫌いだった。

そういう母の空気を読んできて、いつの間にか私と母の間では

母が嫌がることをすること=いじめ

のような固定観念ができていたんじゃないかと思う。

母をいじめないこと=母が嫌がることをしない
という縛りが、私の境界線曖昧にさせ
私はいつまでも母の世界から出られなくなった。

母を傷つけないように、母を喜ばせるために今までの人生を使ってしまったと
私はどこかで思っている。
私は自分の人生の責任を持てていない。

このいびつな人間関係が私のデフォルトになってしまったため、
いつの間にか社会へ出ても、人の境界線内に入ることで愛情を感じるタイプの人が周りに集まってくるようになった。

私はこの、
自分が無意識に作ってしまう人間関係の構造の癖を破壊しないといけない。

私は母を「傷つける」ことにした。

母が嫌なことをする
母が聞きたくないことを言う

母が喜ばない選択をする

それは、私が自分の尊厳を守るため
私が自分の境界線を守るため

初めは罪悪感がすごかった
今まで守ってきた「母をいじめない」という制約を破るごとに、自分を責めて部屋で寝込む日々を繰り返した。

今まで「やってはいけない」と思っていたことをする日々により
私は善悪の判断がつかなくな苦なってきた気がした。
自分がしていることが正しいのか、間違っているのか、わからなくていつも不安だった

それなのに、いつも正しいと思っていたはずの
「母の気持ちを尊重する選択」をしようとすると
心の中から泣き叫ぶような声が聞こえてきた

その頃の私は、自分本位な選択しかできなくなっていた。

葛藤しながら過ごすうちに、少しずつ自分の境界線を守れるようになってきた。

自分の尊厳が守られるようになっていくと、鬱の症状ががなくなってきた。
私の生きづらさは、本当にここから生まれていたんだと思った。

初めは言葉やタイミングを選んで慎重に伝えていたけれど、
だんだんと母親に嫌なことをはっきりと言えるようになってきた

だからといって、母は私が嫌がることをやめてくれるわけではない

母はいつも父親に対する不満を言う。
それに比べて私は「気を遣ってくれるから」良いという。

その発言で、いかに今までの母との関係が
私の気遣いの上に成り立っていたかを実感する。

母は何度私が嫌だと伝えても
何度もしてくる。悪気がない。忘れてしまうらしい。
あと、そもそも真剣に捉えていない。

今までは、一度「やめて欲しい」と伝えるまでにもものすごく長い時間を要して、
傷つけないように、棘がない伝え方を考え続けてきた。
勇気を出してやっと伝えた一言が軽く流されたり、忘れられたりすることばかりだった。

自分の嫌なことを伝えるまでに消費したエネルギーと返ってくる結果が見合わないことばかりで、
それも積もり積もってがストレスになっていた。

だから、毎回罪悪感を感じながらも、
自分のために「母を傷つけても良い」と、思いながら
少しずつ気を使わないように、そこに意識を割きすぎないように伝えていった。

どれだけ言葉を気をつけてどれだけ緊張しながら伝えても、見合う結果が返ってくるわけではない。
毎回、泣かせたり、被害者になる母に対して
私は毎回加害者になった気分になる。

自分の境界を守るために、場合によってはきつい言葉も言わなければいけないんだと
伝えるたび、私自身も傷ついた。

私がここまで心と神経をすり減らしていることも、母には伝わっていないのかもしれない。

私は、未だに母に対する怒りが消えたわけではないし
人としての軽蔑心がなくなったわけでもない。

ただ、それと同時に母の良いところも理解はしている。

今までどれだけお世話になってきていても、今どれだけ助けられているとしても、

母がよく言う「家族なんだから」という免罪符で
同居している家族に嫌な思いをさせ続けるのは
私が思う「人と暮らすならば」という礼儀と価値観を踏み越えていた。

私は、母のその甘えと、在り方の幼稚さと、美しくなさに、ずっと腹が立っていたのだと思う。

けれど、私が今までのように、その怒りを感情的にぶつける事はほとんどなくなった。

それは「自分の境界線を踏み越えられそうになったら、母を”傷つけ”てもいい」と自分の中で許可が出たから。

同じ屋根の下にいても、自分の境界線さえ守れるようになったら、母がどれだけ幼稚でもスルーできるようになってきた。

きっと母は一生変わらない。
それでも、自分の尊厳さえ死守できるようになれば
母と縁を切らなくても良くなったし
物理的な距離が近くても大丈夫になった。

そして、私は
心の中でずっと、静かに母に怒り続けることを自分に許した。

それは私の思う「美しい在り方」や「美学」
自分の価値観とアイデンティティを自覚し続けるため。

私は自分のために心の中でずっと静かに怒り続けていようと決めた。

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