正しい大人と我欲

うちの母親は「欲しがること」を禁止されて育ってきた。

自分の欲を抑えて、「やるべきこと」を淡々としていくことを身につけて育った。

社会でいう正しい大人で、正しい嫁だった。
祖父は躾が厳しい人だった。

自分に欲を禁ずると、どうなるか知ってる?

  • 人の欲を許せなくなる
  • 「自分は我慢してきたから」と周りの欲を許すと、自己犠牲×わがまま量産というアンバランスを生む
  • 自己犠牲、欲の抑圧を続けると

すると、周囲の子供っぽい大人、正しくない大人、ちゃんとやっていない人が許せなくなる。
「正しくしなよ」って言いたくなる。

日本のアンチの多くは、こういうふうに生まれる。
そして厄介なことに、本人はアンチの自覚がない。

だって「正しいことを言っている」から。

この人が本当にしたいことは、「みんなが正しくして、ズルをしないようにする」ことじゃない。

自分が抑圧から解放されて、自由になること。

確かに、母が自分を後回しにして身を粉にして家族に尽くしてくれたから、今の私がある。

だから私は母の全てを否定することはできない。

でも私は、自分の欲を抑制して大人になろうとすることの代償を知っておいた方がいいと思う。

自分の欲を我慢するということは、同時に自分の中にネガティブな感情を生産し続け、貯め続けていくということだ。
溜まった感情を永遠に溜めておくことはできない。

どんなに我慢しても少しずつ漏れている。

だいたい、「甘えやすい人=本当に自分を大切にしてくれる人」に漏らしている。

私自身が、母と同じように自分の欲を我慢して、正しい人であろうとして失敗してきた。
こういう時って、表向きはいい人に見えるし、体裁は保たれる。

だけど、家庭やプライベートで崩れやすいよ。
自分の家族や子供や大切な人を知らないところで犠牲にしてるよ。

私はたくさんの人にしてしまったよ。

私はこれは、戦争の残滓、負の遺産だと思っている。

私の祖父母やその世代の人たちが、
毎日安全が保証されず生活の苦しい中、私なんかが想像もできないような世界で
毎日我慢を積み重ねてこの国を守って、残してきてくれた。

自分に我慢をさせることで生き抜いてきた人たちに育てられた私の親世代。
同じように育てられるのが普通だと思う。

時代的にもそれが正しかったから、
「自分だけ好き放題しよう」と思うのなんて難しかったんじゃないかな。

だから、私たちの生きづらさは、
かつてこの国を残してくれた人たちが必死に戦った証でもある。

そのデメリットが、少しずつ積もって現代の私たちに「生きづらさ」として表出してきた。

それを解消するのは、現代を生きる私たちの責務なんじゃないかな?

だから私は「毒親」という言葉が嫌い。

確かに今の私の生きづらさをきっかけを作ったのは親だし、
その仕組みに気がつけなかったのは親の視野が狭かったと思う。

自分の中の負の感情を癒すために一時的に親を恨んだりするのは必要だと思う。
だけど、自分が不幸なのをいつまでも毒親のせいにするのは違うんじゃないかなって思う。

もちろん、私よりも大変な環境で育った人がいるだろうこともわかる。
私は私がわかる範囲で書いている。
私が自分で転びながら導き出した私なりの答えを書いている。

世の中で正しいと言われている「我慢すること」「わがままを言わないこと」「正しい大人であること」
そこに一度疑問を持ってみようよ。

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