ここ数日はまた久しぶりにしんどい日々。
鬱の時に戻ったみたいだ。
寛解したんじゃなかったのかな?
でもわかってる。これはまた何か自分の中で真剣に考えたいことがあるから。
多分今回は、恋愛だと思う。
でも「恋愛」という表面的なものじゃなくて、
もっと根源的で、私の土台に関わるようなこと。
考えると胸にずしっとくる。
私はすぐ身体に反応が出るからすぐわかる。
「愛されるための条件」を作ってきた今までの人生だったのかもしれない。
父に愛されるための条件、
母を安心させるための条件、
でも「父に愛されるための条件」は母の愚痴を聞き続けて私の中でできたものだったから、
結局母のせいにしたくなってしまう自分がいる。
自分が選んできた人生なのはわかってる。
でもどこか、「お母さんがあんなに私に感情をぶつけてこなければ」というのが、お腹の底に沈んでる。
ここまで向き合って、私自身の責任に返してきても無くならないのなら、
もうこれは背負って生きていくべきものなのかもしれない。
なんか、「お母さんのせいで」を無くそうとすることに疲れた。
母親との表面的な関係が良好なら、心の奥底で怒っていてもいいんだと自分に許可できたのは大きかった。
本人に直接伝えても「そんなつもりじゃない」と悲しんでしまう。何年も言い方を変えたり色々試してここまできたから、もう疲れた。
正直、話すたびに自分が傷つく。
親子だからって、全部分かり合えなくてもいいんだと気づけたのも、
私も一歩大人になったと思った。
親に期待をしすぎていたんだ。
人への期待は依存を生む。
私は親に期待していたように、周りにも期待をしていたんだ。
自分で自分を理解することができるようになってきてから
「わかってほしい」と思う気持ちがなくなった。
私は母の「わかってほしい」に全力で答え続けてきたと、自分では自負しているのだけど。
わかってもらおうとするほどに、「わかってもらえない」という寂しさが大きくなる。
自分で自分をわかってあげられるようになってからは、人に期待しなくて住むようになった。
もっと早くこの境地にこられていたら、こんなに人間関係や恋愛で拗らせることもなかったんじゃないだろうか。
私は本当に独りだ。
でも「孤独」と向き合うのって、誰もが人生で向き合う課題だよね?
私はこの期間で、いろいろなメッキを剥がし続けている。
そのメッキは、今までの自分が生きていくのに必要だった外壁たち。
生身の自分で生きたことがないからわからないんだ。
今までは「素敵な自分でいないと愛されない」って思って
そういう自分を作るのに必死になっていたから。
外壁工事をした自分を認めてくれる人だけと付き合ってきたから。
こんな何もない自分を愛されたことがない。
深部まできたなぁと思う。