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不足と欠乏の核

自分の中が整ってきたからこそ、不安や不足や欠乏がある部分が目立つ。

私は今、自分の価値が「奪われないか」を案じている。

私の見えた物、作った物を守る仕組みを万全にする前に出してしまって安全かどうかを心配している。

この感覚の核はどこだろう?

今まで自分が無自覚だった力を、察知してきた周りの人に奪われてきた。
先輩には中身を取られて売られてしまったし、
上司には私の価値をそのまま上司のものとして売られてしまったし、
カウンセラーさんにも私の考察内容や成果をカウンセラーさんの成果とされた。

自分の才能を出すと奪われる
でも、見せなければ無価値だと思われる

この件について考えると、心臓がバクバクする。

多分私は、きちんと価値に変える前に取られてしまうのが怖いのかもしれない。

この男性性の強くなりすぎた社会で、「価値に変える力」を磨き上げた人たちはたくさんいる。
「価値として見せるのが上手い人」たちはもっとたくさんいる。

これは、価値に変える前に消費物にされてはいけないんだ。

今はまだ私の中で価値に変えられていない。
だから無防備すぎて怖いんだろうな。

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