SNSを見ていると、私と同じように視えている人っているんだなと思った。
でも、人によって視えているものの範囲やジャンルがさまざまみたい。
私は知覚しているジャンルの範囲が広いらしく、一言で表しにくいのだけど、
一応「巫女・シャーマン的能力」と言えるらしい。
そして、年々視える範囲が増えている。
今までは自分のことを「ちょっと勘の鋭い人」くらいにしか思っていなかったのだけれど、
先月「私って本当に”視えてる”っていうんだ」と自覚してから、どんどんその力が強まっている。
精神疾患になって自分の全てが信じられなくなった時に、一度この力を全否定し、封印した。
そのまま1年半過ごしていたけれど、臨床心理士さんのカウンセリングをやめたことをきっかけに
心身の調子がよくなってきて、それに合わせて少しずつ自分の力を信じる心が戻ってきた。
私は今でも心理士さんは優秀な方だったと思っている。
多分、普通に鬱や精神疾患の人なら、あの方のカウンセリングですごく回復できるんじゃないかと思う。
ただ私が精神疾患になった理由は、ただのアダルトチルドレンや親子関係の拗れだけではなく、
私の「巫女・シャーマン的能力」を抑制させないと生きられなかった社会と人間関係、環境が1番の原因だったんだと思う。
そしておそらく、私のような体質の人は少なからず存在していて、
その人たちが社会でうまくやっていこうとすると、本来の自分を抑制させることになる。
ある時その人のタイミングで「本来の自分で生きたい」という指令が魂の方からきた時に(または、「もうこれ以上は社会に適応できない」と悲鳴をあげた時)、
精神疾患にかかるなどのきっかけで
自分の能力を開いて生きていくフェーズがやってくるのだと思う。
このタイプの人が精神疾患に罹ってカウンセラーさんにお世話になる時、
カウンセラー自身が、学んできた知識の外側の概念にも理解を持て、
また、「自分が見えないものが見えているクライアント」を受け入れられる器が育っていることがカウンセリングを成立させるための必須条件になるのだと思う。
そうでないと、クライアントがカウンセラーの「鏡」になってしまい、投影が起こる。
カウンセラーが、クライアントの存在を肯定できない限り、防衛本能としてクライアントの存在を否定し、
カウンセラー自らがクライアントを病ませる人になってしまう。
そうなった時カウンセラーはクライアントを「自分の力では治癒させられない存在」と「自分の能力を超えている存在」と感じてしまうことになり、自らの課題を突きつけられる。
クライアントとのカウンセリングのはずが、自らが問題を解決してもらう側に転換されてしまうのだ。
これは、私のような巫女・シャーマン体質の者が特別で優れているという話ではない。
そもそも、臨床心理の範囲で治せる対象と、目に見えない構造の調律によって治すべき対象が違うのではないだろうか。
要は土俵が全く別の物だと言う認識を持ち、相手の存在で自己評価を下げない心を保たなければ関係性を壊してしまう、そして各々の使命が果たせなくなるという話なんだ。
どちらも複合的に併せ持っている人も大勢いるので、協力関係が築けたらいいのにと思った。
私は、親子関係の見直しに関しては、臨床心理士さんの知識を頂けてとてもありがたかった。
でも、私とカウンセラーさんのように互いに投影しあってしまう関係性の場合、
ポイントさえ教えていただけたら、自分の感情の読み解きや世代間で連鎖した負の感情遺産、
私の感情が魂の目的にどう繋がっているかという読み解きや拗れを直す方法は私が自分で行うのが最適だったと思っている。
だから、初めの数回カウンセリングをしていただいたところで終わらせてもらえたら一番良かったのだと思う。
あくまで今振り返ればの話だが。
臨床心理士さんの中で、「最後まで自分が面倒を見たい」という気持ちや、私が自分で考察をしてきてしまうことに「貢献できている実感が湧かない」とモヤモヤすることで、私を引き止める力が日に日に強くなり最後には怒りを露わにするところまでに至ってしまったのだと思う。
私にとって、臨床心理士さんはとても優秀な先生だったし、ヒントをいただけただけで十分ありがたかった。
それで良かったのだと思った。