私が、せっかくフォロワーが増えて反応がたくさんもらえるようになったアカウントで更新ができなくなったのは、
多分自分の中の濁りのない答えが見えなくなってしまうから。
周りの人が悪いんじゃない。
でも今の私は、
今までの人生で必死になって手に入れてきたものをほとんど失って、
「自分には何もない」というのを真正面から見て
自分ってなんなんだろう
私に残ったものは?
私が追いかけてたもののどれが「自分じゃなかった」んだろう?
どういう選択をしたら「自分」だと思えるんだろう?
って毎日毎日ずっと問いかけ続けている状態だから、
そこに、善意だとしても
「こうした方がいいよ」とか
「普通こうするべきだよね」
「大人なんだから」
という外側の声が入ってくるのに適した時期じゃないんだ。
あと、自分で予想していたから、
「誰かのため」にならないように
今までのアカウントは「自分の頭の整理のため」だけに書いていた。
あと、人が怖かったから、「自分の本音を人に見えるところに出しても、怖くならないようにしよう」ってその訓練のつもりで書いていた。
それは達成されたと思う。
アンチが来ても、気にならなくなった。
むしろ、そのアンチコメントを書いた人が、「なぜ私にそのコメントを書かないと気が済まないのか」その心の奥に握りしめているものを考えて、
「見抜く」練習にすらしていた。
でも、アンチが怖くなくなっても、
色々な人の視線は自分の本音を濁らせる。
私が書いていることを、同じような境遇の人が読んで
自身の言語化の参考にしてくれていたりする。
それは良かったのだけど、
私は相手の「気配」から、「感情」や「背景」が身体に流れ込んでくる体質だ。
そこから人の期待やいろんなものを感じ取る
すると、すぐに自分の本音がぼやけてしまう
自分の考えを何度も疑い始める
まだ、そういう環境下で自分の気持ちを持ち続けるほど
自分で自分の本音がわかっていないんだろうな。
だから、誰とも関わらない、でも閉ざされていない空間が欲しかったんだろうな。