こんな女で

ここ数日はまたメンタルが急降下している。


適応障害でこもっていた時にわかったのだけど
メンタルが急降下している時は、「何か」が出たがっている時。

じーっとそれと対峙することで自分の中の何かが浮かび上がってくる。

それを見つけたくて落ち込んでいる。

外から見たら腐っているのかもしれないけれど、
本当は自分の中から宝石を見つけるような作業をしているんだよ。

だから本当は、世間一般の「ちゃんとしていない」という評価なんて気にしなくていいんだよ。

自分の奥の奥まで解剖する習慣のない人には、きっと一生理解できないことだから。

私は「女」でいられなくなった。
今までのような女ではいられなくなった。

私は今まで育ってきた環境で、「男から見て魅力的な女」であり続けることが
自分の存在価値だと思っていた。

常に緊張感を持っていた。

いつも自分を磨くことしか考えていなかった。

それはどこまでも自分が自分を、女でいるという条件でしか認められないということだった。

この社会で、女でいることは苦しい。
でも同時に、女でいることは喜びでもある。

適応障害になる直前には、出会った男の人たちから「こんなに好みの女性に出会ったことはない」と言われるようになっていた。
それは、あの「魅力的な女であること」でしか認められない環境にいた私の感情で
「女」を作り上げてきたから、
周りの男の人たちは私のその努力による成果が出ているよ、と教えてくれる存在だった。

磨いたのは見た目だけではない。立ち居振る舞いに考え方に
私にできうることは全てした。

彼と付き合った時に、自分の努力の結果はここまできたのかと感慨深く思った。

私の出身や生まれ持った見た目程度では、きっと一生出会いえないような人の彼女になった。
それは間違いなく、私が色々なものと引き換えに努力した成果だった。

そこから私の緊張感が最高点に達した。

きっとここが私が到達できる頂点なのだろう。
この自分を維持し続けなければいけない。

そんな自分の感情にも気がついていた。
彼のことは今までにないくらい好きだったけれったけれど、
これは過去からの自分のコンプレックスによる執着なのではないだろうかという疑問と不安を同時に抱えていた。

きっと私は最後まで彼のことを、自分のコンプレックスからの欠乏感を埋めてもらえる人として見てしまっていたと思う。
気づいてたのに。

見つけるたびに彼のことを使わないように、
自分の欠乏感の元を辿って過去と向き合ったりと、8年間も続けていたのに。

私は心に溜め込んだものが多すぎた。

私は囚われていた固定観念から、
彼がいなくなることと引き換えに解放された。

あれから、「女」を作れなくなった。

今まで着ていた服が着られなくなった。

私は「女」を演じていただけだったんだ。
親に認められるような女をつくりこんで、周りの男の人たちに賞賛されることで
ギリギリ自分を保ってきた。

それは、男だよ。

私の中身が「男」だった。

男の人に愛されたいという願望がなくなったわけではない。

でも、もう私は、過去のように自分を否定しながら「魅力的な女の皮」をかぶることはもうできない。

今まで成功してきたものをもう使えなくなった。
こんな私で、愛されるわけがないという信念が固いから
気持ちが落ち込んでいるんだろうな。

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