ハレの日よりもケの日

狙ってたメキシコのDía de los muertos🇲🇽🪦っぽいシャツが50%OFFで買えてごきげん。イオンのチャイハネね。


そして中のワンピースがまさかのしまむら。
 
 


 
都内に住んでた時はなんかいっつも「ハレの日」の装いみたいで、ずっと気が張ってたな〜って思う。
「ケ」がなかった。
 
垢抜けてるか、とか、場違いじゃないか、とかが気になって、ブランドものを着て自分を安心させてた。

精神疾患を克服して、
私は「何を着てても自分の存在だけで存在感を保ちたい」と心の底から思った。

ケをハレにしたいというか。

ケすらハレにしたいというか。

 
 
生活圏が海外だった頃は、服とか装いがもっと「私」って感じで、でも日本に帰ってくるとものすごく人の視線が気になるの。なんなんだろうこの空気の違いは。
 
 
なんか、誰が見てるわけでもないのに、人の視線や評価の粒子が空気を漂ってるみたいな感じ。
 
 
海外でできてた自己表現を、日本でもすればいいだけなのにね。それが難しかったんだな。
 
 
特に実家の周りは、母にいつも「生意気に見える」って言われてたから、自分らしくない生意気にに見えなさそう〜な、
周りの大人に嫌われなさそう〜な格好してて、息苦しかった。
 
 
だから実家でいかに自己表現をするかは、私の課題なんだ。
 

目次