自分の心を整理するため
ぐちゃぐちゃになった責任の所在を整理するために、一度親に対する怒りを自覚したり
親に伝えたりする事は、私の中で必要な行為だった。
ただ、自分の生きづらさを作った原因が、一部親にあると言っても
これからの自分の生きづらさや、今までの思い通りにいかなかったことを全て親のせいにし続け、これからも生きるのかと言うと、それは私にとっての正解ではなかった。
親が持つべき責任は親に返しつつ、私が取るべき責任を自覚して自立していくことが私には必要で、
どこまでが親の責任で、どこからが私の責任か?
小さな出来事まで一つ一つ取り上げて吟味していくことを、時間をかけてする必要があった。
要は責任の所在がぐちゃぐちゃだった。
私の家族のメンバーは、自分の責任と他人の責任を切り分けることができない人たちだったから、
親の責任を子供の私が背負い、私が背負うべき責任を親が持ち続け…と共依存をした皺寄せがこういう形できてしまった。
結婚も逃したし、仕事も家も財産も失ってしまってやっと意味がわかった。
悔しさはある。
責任の整理は、親子関係だけでなく全ての人間関係で必要であり、一生誠実にやっていかなければいけないことなんだ、と肚落ちした。
そして同じ理由で、カウンセラーさんや上司を含めた多くの人間関係の悩みが生まれていた。
私は、生まれ持った特性的に、人の鏡になりやすいらしい。課題を投影されやすい。
だから、人との距離が近づくほど齟齬を生みやすい。
そしてそれが「期待」を生む。
私が何度も精神疾患を繰り返した理由は、親子関係によるものだけではなく
私の投影のされやすさと期待の生みやすさも大きな理由だった。
プロのカウンセラーさんとの間でもこじれが生まれたし、それに気がついていなかった。
今まで何人かカウンセリングをお願いしたが、私はそこでも相手の鏡になってしまった。
「カウンセラーさんとの関係」という出来事を通して現実から差し出されていた私への課題は、
自分の特性が引き起こしやすい人間関係の拗れとその仕組みに気がつき、自分らしさを保ちつつどう生き方に活かすかを考えることだった。
投影が起きていて、相手がまだ自分の課題と向き合う準備ができていない時、
相手の責任がこちらに飛んできやすい。
ここで責任の所在が曖昧になる。
それが色々な人間関係で起こり、人の責任を背負いすぎることになり
結果私はつぶれた。
これをきれいに整理しないと、自分が濁る。
見つめて、相手の責任を返して
自分の責任を取り戻す
その繰り返し。