「自分が加害者になるかもしれない」
自分の奥底に隠された凶暴性と、それが表に出る可能性を考えられない人が苦手だ。
「自分も人を傷つける側になるかもしれない。むしろ今すでにやっているかもしれない。」
常にそう自分を、正気を保ったまま疑い続けられる自分でありたいと思う。
自分が子供時代にそういう大人に傷つけられてきたから、常に自分を疑っていたいと思う。
ただ同時に、
「自分や他者の中に未熟さを見つけても
無理やり突きつけることはしないでおこう」
というのが私が30年以上もかけてやっと学べたことだ。
私は、自分の醜さに気がつかず、上振れた自己評価をしながら人を傷つける大人に、己の姿を見せつけるという復讐を長年にわたってやっていた。
目の前の大人に、過去の大人たちを投影していたのだ。
嫌な人、許せない人、心底軽蔑する人、
そういう人に会うたびに、その人の背景に見えるのは、同じ要素を持った自分の影だ。
私は、私自身が一番怖い。
良い人や正しい人を生きている自負がある時ほど、
無意識で何をしでかしているかわからないのだから。
嫌な人の多さは、自覚のない自分の多さだ。