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父親問題の再解釈


この時の気づきから父親関係を再解釈します。

目次

最近の出来事

2023.12 私、適応障害の診断

仕事を辞め実家に帰省

2024.01~ 母娘関係の見直し

幼少期から母から、父のせいで溜まったストレスの吐け口として愚痴を聞き続けたことによる、私の心への影響の整理

2025.02~ 母娘関係一段落 & 父との関係見直し

父との関係性の希薄さと、母から聞いた父の話で、私の中で【父の姿=母から見た父の姿】になっていたことに気がつく→母から聞いた父の印象を一旦横に置き、自分の目で父の姿を見直す

2025.03 人生初・父親への怒り爆発

半身不随で施設にいる父は、人の助けがないと生きていけない。にも関わらず、わがままばかりですぐキレる態度に幼少期からの我慢が爆発。初めて反抗した。

2025.04~ 一旦父とは会わないと決める

父への怒りが収まらないので一旦会いにいくのをやめ、なぜ私はこんなに父に怒っているのかを考えることに。

父について補足

私は幼少期から、母から父との関係で傷ついたことや悲しかったこと、腹が立ったことを聞き続けていた。

私はそんな話を聞かせ続けた母を長い間恨んできたが、母が父の愚痴を言うのには理由があった。

父の今まで

父はアル中で、幸い家族に手を出すことはなかったが、夜中に大声で叫んだり暴れたり物を壊すのが日常茶飯事だった。

結婚当初は自動車整備の会社に勤めていたが、もともと我が強い人なので上司との折り合いが合わず
ある日突然会社を辞めてきてしまった。母は以前から、「あなたの性格では個人事業主は難しいから」と止めていたそうだが、辞めてきてしまった。

翌日から自分で開業して仕事を始めたが、経理は全て母に任せきりで、一度も黒字になったことがないのに、最後まで帳簿を見なかったらしい。

経営について学ぶわけでもなく、持ち前の修理の腕だけでなんとかしようとしたらしいが、
赤字では働けば働くほど赤字になることや、経費とそれを回収する意味なども理解していなかったのだと思う。

気前の良さで人に安く修理をしてしまい集金にも行かず、母に働きに出てくれと頼む始末。


家事も一切やらないので、母は家事、子育て加え3つの仕事を掛け持ちしていたため相当しんどかったと思う。

母がしっかり者すぎるので、甘えた父は遂に昼間からお酒を飲んで寝るようになった。

日常と背景

母は父にお酒をやめて働いて欲しくて、毎日怒鳴っていた。

父に言うことを聞かせたいあまり
「そんなんじゃ娘に嫌われるよ」と私を引き合いに出して父をコントロールしようとした。

母のこの行動が私と父の距離をさらに遠ざけさせた。

表面的な父の態度だけだと、一般的には父が悪者に見えると思う。
でも私には、父がこんな甘えた状態になる心理的な背景をなんとなく感じ取っていた。

父は幼少期の傷ついた体験から「どうせ俺は愛されない」と祖父母に対して拗ねた気持ちを握りしめていた。

傷ついた気持ちが癒えないまま大人になると、子供の頃に求めていた物を
いろんな形で手に入れようとする。

父のわがままや甘えた行動は全て「俺は愛されている」と確かめたいから。
もちろん本人にその自覚はない。

  • 愛されていると確かめたくて、わがままを言う。
    「こんなわがままを言っても聞いてもらえた」という愛情を確かめたいから。
     
  • 「どうせ俺はいつもこんな結果だよな」「ほんとに俺はいつも運が悪いよな」と言って
    「そんなことないよ」という言葉をもらいたい。
     
  • 妻を母親代わりにして甘えてしまうのは、
    トラウマと世代間連鎖や親の呪縛も関わっているからちょっともつれやすいけど、
    本人にとっては「甘えていないと自分が保てない」から。
     
  • お酒に走ってしまったのは、
    心の傷を癒す方法がわからないけれど、どこかで甘えてバランスをとらないと心が壊れてしまう。
    でも甘えると妻に怒られるから。
    まだ向き合う勇気のない心の傷に、まだ気が付かないように紛らわせたいから。
     
  • 他の優しくしてくれる女の人に心が揺らいでしまうのは、
    心の傷が癒えていないから、どこかで甘えなければいけない
    でも奥さんが甘えさせてくれないから、外に求めてしまった。
     

もちろん父は全くの無自覚。

母の立場からしたら「お酒やめてよ!仕事してよ!私はあんたのお母さんじゃない!
となるのが当たり前だけど、

感情の層の下の方まで観察するとこうなっている。

幼少期に抱えた欠乏感を埋めることで精一杯の人は、自分の未熟さを直視して自立をする段階にまで至っていない。
世の中の主婦の方々は腹が立つと思うけれど、「結果や男らしさ」を求められる男性社会の息苦しさの中で生まれた影の側面と言っても良いかもしれない。

私は子供だったのでうまく言語化はできなかったけれど、
こういう父の背景が見えていた。だから父を嫌いになれなかった。

人に迷惑ばかりかけるけれど
父なりに辛いことがわかったから。

愛され方のわからない父は愛し方もわからない。

私は父から愛されていると感じてみたかった。
それが私の心に「父親に愛されたい」という未完了を作った。

こうして世代間連鎖は受け継がれてゆく。

初めて出てきた父への怒り

父は美しく聡明な人が好きだった。

父親に愛された覚えのない私は、子供の頃から父に興味を持ってもらえるためにがむしゃらに努力した。
勉強の成績もそこそこ良かったし、習っていたエレクトーンでは父が好きな曲ばかりを弾き、毎年のコンクールでは死に物狂いで入賞を掴んでいた。
父に愛されたくて見た目を磨き英語を学び、国際線CAの職まで手に入れた。

私は父の自慢の娘になった。
でも、私から外側を剥がしたら、まだ父に好きでいてもらえるか全く自信がなかった。

コロナをきっかけに、私の外側のメッキが全て剥がれた。
自己価値を支えてきたものを一気に無くし、私は精神疾患になった。

自分への自信のなさからくる外側への執着と、いつも「自分は足りていない」という欠乏感が、
私の努力をしていないと不安な性格に拍車をかけていた。無自覚だった。

私の精神疾患は、こういう父と母の影響も要因になっていた。

お父さんってクズのマザコンだったんだ。

父に愛されたい気持ちが強すぎて、父を美化しすぎていた。
ずっと父のことが大好きで父のことをあまり悪く思ったことがなかった。

そんな私だったが、精神疾患になって本気で親子関係を見直し始めて
だんだんと父の姿を直視できるようになってきたある日、

お父さんってクズのマザコンだったんだ

という言葉が私の中に浮かんできてしまった。

一瞬、頭をぶん殴られたように放心したけれど、妙に納得してしまった。

この一年で母とも向き合い、母への蟠りがなくなったこともあり、私は父の肩ばかりを持たなくなっていた。

今年の2月に父を施設から病院に連れて行く機会があった。

母の愚痴により私の中で出来上がっていた父の像を一旦白紙にして、自分の目できちんと父を見てみることにした。そうしたら私の中での父への誤解も解けた一方で、今まで美化していた父への色眼鏡も外れてしまった。

脚色のない父の姿に、抱えていた恨みが一気に出てきて父にぶつけてしまった。

あなたは何回私の約束を破った?
私はあなたの召使じゃない
私はあなたのお母さんじゃなくて娘です
おじいちゃんに「父親失格」と思ってたくせに、私に同じことしたでしょ?

父に腹を立てた私の課題

しばらく父と会うのをやめた。

あんなに執着していたのに、もう父に愛されなくても良いと胎の底から思えるようになってしまった。

その間に、「なぜあんなに父に腹を立てたのか」理由を考えていた。


誰かに腹を立てている時、実は心の奥には、自分自身に何か気がつきたい課題がある。

私はそれを知りたくて4ヶ月も考え、やっと辿りついた。

父は私の鏡だったんだ。

私の見たくない姿を映していた父

半身不随の父は、人のお世話にならないと生きていけない。
一方、精神疾患で働けなくなった私は、母のお世話にならないと生きていけない。

それなのに父は、平気で不満をぶちまけ人に暴言を吐き人を傷つけ迷惑をかける。

父のその言動の裏には

「なんで俺は愛されないんだ」という拗ねがあり、そのさらに下には

「人生で自分で努力をして手に入れたものがないカッコ悪い自分を見たくない。でも本当は周りの人を幸せにできる自分になりたいし人に好かれる自分でありたい」という本望が入っている。

自分の現実を直視してこの本望に気づいて行くのが父の魂の目的。

父の課題が見える一方で、私個人の感情と課題もある。

私は自分の立場をわきまえない父が醜くて嫌だった。

でも私のその感情の裏には「本当は自分も今の現実が気に入らない」という醜い本音があった。

でも、そんなことを思ってはいけないと思っていた。

私が本当にしなければいけないのは、大人のフリをしてわがままな本音から目を逸らすことではなく、
「今の現実が気に入らない」という本音を自覚して、どうしたらいいのか?自分の本音を叶えるために今自分にできることは何か?を考えることだった。

本音を自覚せずに正しい大人のフリをすることは、責任感が強いようで、実は自分の人生に責任を持たず自分の不幸を人のせいにする行為だ。

自分が見てみぬフリをしていたものを自覚したら、一気に父への怒りが消えた。

私の中の未熟な男性性の部分が、浮き彫りになった。

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