彼女は、自分に関するあらゆるものが嫌い。
自分の名前、顔、子供の頃遊んでいたお人形、自分の選んだ服
なんでこんなに可愛くないんだろう
なんでこんなにセンスが悪いんだろう
どんなに自分の心と向き合っても
その思考はなかなか消えなかった。
周りの人は大抵「そんなことないよ」とフォローしてくれる
中には「ただわがままを言っているだけ」と言う人もいるけれど
誰がどんな反応をしようと、
彼女は自分の持ち物を認めることができなかった。
大人になった彼女に、
「なぜそんなに自分に関するものがいいものだと認められないの?」
と問う人がいた。
そうか。本当はそんなことないのに、
私が無い物ねだりしてわがまま言ってるだけなんだ。
と、彼女はさらに自虐的な形で理解した。
なのにどうしても気持ちが一致しない。
実際、彼女に問うた人は
彼女を批判したわけではない。
しかし彼女にはこういう受け取り方しかできなかった。
大人になってそんな愚痴ばかりを口に出すと批判が飛んでくるので、
いつしか彼女はそれを口に出さなくなった。
でも心の中のもやもやが消えたわけじゃない。
彼女の心の中では何が起こっていたのか?
そのときの彼女は、
自分がそんなに不細工ではないことや、
自分の持ちものや自分の作ったものがそんなに悪くないことを、
“認めてはいけなかった”のだ。
自分の認識の歪みや事実を受け入れることを、心が拒否していた。
『だって、それを認めてしまったら、
私があんなに嫌がってたのに、誰も聞く耳を持ってくれなかったあの苦しさが、なかったことになっちゃうじゃない!』
これが彼女の、心の1番奥にある叫びだった。
彼女の両親は、彼女が幼い頃から、彼女の言葉を聞く習慣を持たない人たちだった。
彼女の中では
幼い頃から誰にも届かなった気持ちが澱のように溜まっていた。
それが心の傷として残っている。
大人になっても当時の心の傷が言えていない彼女は
自分の見た目をそのまま受け入れ肯定することよりも、
過去の幼かった自分の声が、誰にも届かなかった寂しさを
自分だけは大事に持っていてあげることの方が
今の彼女にとって大切なことだった。
人は
「そんなのみんなそうだよ」
「そんなことに未だにこだわるなんて子供だ」
という。
しかし彼らは、
“人の心の傷は昇華するまで見つめてあげないと無くならない”という
感情の仕組みを知らない。
そして彼らはただ、
その心の傷が浮かび上がってきていないだけで
自分自身の心の中にも似た傷が眠っていることに気がついていない。
心の傷が表面化しているのかいないのか
昇華できているのかいないのか
その存在に気づいているのかいないのか
傷に気が付かず毎日を送れているのかいないのか
そういったものでは、人の成熟度や価値は測れない。