今ならわかるのだが、私はおそらくあの場で「先生とクライアント」という形で知識を教えてもらうことを望んでいたのではなかったようだ。
私は自分の感情がゆらいだ時、そこに自分の人生の課題の存在を感じる。
その感情を感じる場面や人間関係のもつれを考えていくと、仕組みや構造の形が浮かび上がってきて
課題や謎として浮かび上がり、私の中で研究対象になる。
その研究対象について一緒に考察をしてくれる人が欲しかった。
しかし先生が求めていたのは
先生とクライアントとしての師弟関係のような、【教える者と教わる者】の関係性だったのではないだろうか。
私の憶測に過ぎないが
先生のこれまでの発言や感情の起伏を鑑みるに
先生の怒りの裏にはきっとそんな願いがあったのではないだろうか。
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