私が譲れなかったのは「物事がきちんと読まれる環境」だったのかもしれない

私は、適応障害と診断されたのちしばらく
臨床心理士の先生のカウンセリングに通っていた。

しかし、通い始めてからどんどんと体調が悪化し、希死念慮がひどくなり
毎日「死にたい」と家の中で泣き叫びパニックを引き起こすことが続いた。

臨床心理士さんのせいだと思っているわけではない。

私はこの自分のメンタルの急降下は、本質的に何が引き起こしていたのかを
長い時間をかけて考え続けた。

目次

臨床心理士さんとの出来事

臨床心理士のカウンセラーさんの主張の中に、こういうものがあった。

「あなたは物事を深く考えすぎ」
「そんなに一つのことをずっと考え続けないで、お母さんや上司が悪かったことにして次に進めばいいじゃない。それの何がいけないの?」
「自分の見立てを正しいと思いすぎだ」
「僕はあなたの幸せを考えることが仕事だから、他の関係者の幸せを考えることは仕事の範囲外だからね」
「あなたが言っていることは理想論だ」

私は、いつも自分から見た、
母親や、彼や、上司との関係の拗れの原因や、自分の中での認識のずれに気がついた経緯などと、そこから派生して現在進行形で考えていることを事前に言語化してカウンセリングに臨んでいた。

カウンセリングの時間はほぼ私の考察結果の発表会になってしまっていた。

臨床心理士さんが私に望んでいたこと

心理士さんは

「事前に考えてこなくていいから」
「あなたの考察結果はあまり必要なくて、ここに来た時に思いついたことや感じたことをそのまま話してほしい」
「もっと感情的になって、喜怒哀楽をここで出してほしい」

とよく仰っていた。

もちろん仰る通りに。事前準備しないようにして
何も考えずにカウンセリングルームの椅子に腰掛けそこで浮かんだものを話すようにした。

何も話せなくなった。

自分でも不思議なくらい。

「何も準備しないように」して行ったら、椅子に腰掛けても
何も思い浮かばなかったのだ。

臨床心理士さんを怒らせてしまい、離れることに

私はもともと、雑談が得意ではない。

そして、感情をそのまま表に出す性格ではなく、
一度自分の中で「なぜその感情が生まれたのか?」を考えてから、必要があれば外に出す。

しかしそのほとんどが、いつも自分の中でそこそこ消化できてしまう。

「あの人に腹が立ったのは、私の中でこういうこじれがあったからなのね」

すると自分の生き方に昇華させればよく、結局相手に伝えるほどまでにならないのだ。

だんだんだと先生のところで何を話したらいいのかわからなくなって
困ってしまった。

なので「カウンセリングをお休みさせてほしい」と頼んだ。

すると突然、先生が怒ってしまったのだ。
結局そのまま、カウンセリングを離れることになった。

私がいつも見ている世界

こういう結果になってしまったが、私は心理士さんのことを悪く思ってはいない。

この出来事は、私の中の譲れないものや
自分が見ている世界の視点の一般とのズレを考えさせられる出来事になった。

心理士さんの反応は私の内面にあるものを映している

私は、いつも拗れた物事や問題ごとが起きた時に、こういう構造をベースに見ている。

スピリチュアル界隈で言われている「現実は自分が作っている」
また、心理学でいう「投影」「鏡の法則」とはこういうふうに物事を読んでいくと腑に落ちるな、と思っている。

「鏡の法則が嫌い」という人にお目にかかることがあるが、それは相手の欠点や物事の悪い部分がそのまま自分にあてはまると勘違いしたためにおこっているのでは、と感じている。

こういう視点で、臨床心理士さんとの間に起きたズレの正体について考え続けた。

私が譲れなかったもの

心理士さんとの拗れについて考え続けて1年ほど。

私はついに、納得のいく整理に行き着き一段落した感覚がある。

臨床心理士さんの発言は度々極端なこともあるように感じたが、心理士さんとしての職務を果たそうとされているように感じた。

目の前のクライアントが過ぎた物事に執着し過ぎず、健康に前を向いて歩いていくこと

きっと心理士さんは私にそれを願っていたのではないか、と思う。

そして過去にこだわって考え続けたがる私の状態に痺れを切らしたくなる時があったのかもしれない。
わからない、これは私の憶測に過ぎない。

しかし、私はどうしても自分の感覚を貫きたかったようだ。
自分の知覚している違和感をなかったことにしたくない。

私はきっと、

普通なら気にせずに終われるものを、気にせず終わらせることができない。
先生のアドバイスのように、関係者の欠点や失敗だったことにして終わらせたくない

それは、私には
人の感情の拗れとそれが解けて調和する世界が見えるような気がするからだ。

私の目には、上の図に書いたような
物事の成り立ちが見えるような気がしている。

そして、それを自分なりに試行錯誤して解いて来たという過去の経験が何度もある。
私はそれを、自分の人生をかけて研究している。

年を重ね、経験が増えるごとにその精度は増すばかりだ。

適応障害も、親子関係も、恋愛も、上司との関係の拗れも、臨床心理士さんとの衝突も
全部同じように解けると信じている。

「社会不適合者」で片付けないために

私はきっと、人生でずっと自分が見えているものを

気にし過ぎ
考え過ぎ
神経質
特殊
何言ってるかわからない
子供だ
甘えてる
理想論だ

と捉えられることが多かった。

私はそれを「片付けられた」ように感じてしまう。


確かに私の言っていることや気にしていることは、社会では
「大人なら」折り合いをつけて片付けるものなのかもしれない。
だからみんな社会で生きていける。

しかし私はそれを自分に強いると
心を壊すことがよくわかってしまった。


でもそれは、人に理解してもらうことを先に求めるのは違うと思った。
誰かの理解や承認を求めて駄々をこねるのではなく

その考えを持ったまま生きていける環境を自分の手で作っていくしかない。


私が、結婚や都内のお気に入りの生活や仕事や大切だったものと引き換えに

家族と向き合い
自分と向き合い

試行錯誤してきたのは、
全て自分みたいな変わり者が、自分のままで生きていけるための環境を作りたかったからなのかもしれない。

おそらく、だからこんなスペースを作って
こんなことを書いているのだと思う。

臨床心理士さんとの出来事は、
私にそんな自分自身の本当の姿を見せてもらえるきっかけになった出来事だった。

melle
運営者

 
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